「杉本文楽 曾根崎心中」サポーターサイト

小田原文化財団プロデューサー 足立寛氏 トークイベント

『杉本文楽 曾根崎心中』の上演に至まで

世界的アーティスト 杉本博司氏と伝統芸能による新たなるコラボレーション『杉本文楽 曾根崎心中』の舞台裏を、プロデューサーとして公演を実現に導いた小田原文化財団の足立寛さんをお招きしてお話を伺いました。

開催日:2014年1月19日(日) 会場:HAPON新宿 主催:AKANE KURIBAYASHI OFFIE

足立 寛( あだち ゆたか) プロフィール

公益財団法人小田原文化財団、世田谷パブリックシアター等のプロデューサー。小田原文化財団では舞台芸術全般を担当。
世田谷では芸術監督野村萬斎企画「M A N S A I ◎ 解体新書」担当、劇場理論誌「S P T 」編集責任者。

聞き手:栗林茜 × 話し手:足立寛(小田原文化財団)

―――足立さんは、小田原文化財団のプロデューサーとして、杉本文楽ではどのような役割を果たされていらっしゃるのかをぜひお聞かせください。

小田原文化財団といっても、小田原市とは関係はありません。杉本博司がファウンダーになっている財団で、公益財団ではありますが、どちらかというと民間的な要素の強い財団です。私は、プロデューサーとして何か特定の役割があるというわけではありません。また、本来はプロデューサーと制作者というのは異なっているとは思いますが、杉本文楽ではその両方を担当し、公演の制作に関わることを一手に引き受けています。杉本文楽の場合は、現代演劇に関わる人を動かすための言語と伝統芸能の人たちを動かすための言語の2つの言語が使われていますが、その両者の通訳をしているということが一番大きな仕事ではないかと考えています。

―――杉本文楽と普通の文楽の違いとはどのようなところにあるのでしょうか?

杉本文楽を制作するにあたり、私自身は「これは文楽だ」と思って制作をしています。ただし、文楽の世界の方からすると「杉本文楽は文楽ではない」と言われてしまうかもしれません。その辺りは色々とせめぎ合いがあり、私自身も確信は持てていない所です。以前、著名な文楽研究者の方に「新作浄瑠璃というのはあるんですか?」と質問をしたことがありますが、答えは「新作はありません」というものでした。江戸時代にあったもの以外は浄瑠璃とは言わないそうで、その話を伺って「それもそうだな」と納得したりもしました。何が浄瑠璃で何が文楽か、文楽か文楽じゃないかというのは、極めて難しい質問です。とは言え、杉本さんも私も杉本文楽を「文楽」として制作をしています。言葉の定義で文楽かどうかというのではなく、どちらかというと、杉本さんが好きなことをやっているという見方が正しいのではないかと考えています。特に、曾根崎心中の場合は、国立劇場や文楽劇場で上演されている公演を観た方が、文楽としては分かりやすいのではないかと思います。

―――杉本さんはなぜ文楽を選ばれて、さらになぜ作品として「曾根崎心中」を選ばれたのでしょうか?

2011年にKAAT(神奈川芸術劇場)がオープンしましたが、初年の公演ラインナップに伝統芸能を入れたいということで、2009年頃に私のもとに相談がありました。そのタイミングでは、杉本さんが伝統芸能をやるということは全く決まっていませんでしたが、その後、様々ないきさつ、巡り合わせで杉本博司に決まりました。  私自身は浄瑠璃の制作をしたいと長年思い続けていたということもあり、当時(2009年)の企画書をみてみると「JYORURI」と、あえて強調するように横文字で書いています。杉本さんの名前をSUGIMOTO HIROSHIと横文字で書くことが世界的ブランドになっていますが、そのSUGIMOTO HIROSHIという文字とJORURIという文字が組合わさるとビジュアル的にも綺麗だし、新しい劇場にはぴったりだな、と思いながらプレゼンテーションをしていたことが記憶に残っています。そんなこともありつつも、当時英断を下してくださった神奈川芸術劇場の方々のおかげで杉本文楽の上演が決定しました。  杉本さんは、当時も全く浄瑠璃のことを知らなかったというわけではなく、NYの杉本さんの書斎に行くと、古典の本が所狭しと並んでいました。たまたま偶然にも2人で話をしていた時に「近松物がやりたい」「曾根崎をやろう」と、意気投合して作品が決まりました。

―――次に、出演者のみなさまが決まった経緯を教えてください。

杉本文楽の仕事をする前から、個人的に文楽が好きで東京公演も大阪公演も観にいっていました。知り合いの演者などがいることもあり、たまたま鶴澤清治さんに直接、杉本文楽のプレゼンテーションをする機会をいただきました。今思うと、とにかく緊張した場面で、自分で何を言っていたのかもあまり覚えていません。とにかく杉本文楽の話をしていたのですが、当然ながら清治さんは杉本博司さんのことも知りませんでしたし、なんだかんだと緊張しながら説明をしていたら、清治さんから「一体何がしたいんだ」と言われたため、唐突に「作曲してください」とお願いしました。普通、いきなり「作曲してください」とは言いません。それでもとにかく単刀直入に言ったことで、好印象を持っていただけたのか、受け入れてくださったのではないかと自分では思っています。他にも経緯はありますが「曾根崎心中をやって頂きたい」「新しい曲を作って欲しい」ということをまずは清治さんにお願いしました。

―――鶴澤清治さんにお話をしにいった段階で、既に観音廻りの段を再現するということは決まっていたということですね。

もちろんそうです。ただし、世間では、杉本文楽が原文復活を最初にやったかのごとく語られていますが、実は過去には色々な所で何度も原文復活ということはされていて、池袋文楽というところでも観音廻りを上演していました。ただひどいことに、池袋文楽でも結局色々な所を割愛してしまっていて、完全復活ということにはなっていませんでした。実は、池袋文楽の作曲も清治さんが担当していたため、杉本文楽のプレゼンに行った時にも、最初は池袋文楽の曲に付け足す形で作曲をして欲しいとお願いしに来ていると清治さんは思っていたようです。ところが、話をしているうちに、池袋文楽の曲も全部忘れて、全く新しい曲を作曲して欲しいと言いにきていると分かり、驚かれたそうです。

杉本文楽では、曾根崎心中の中でも観音廻りをどうしてもやりたいということが大きかったため、どうしても新しい曲を作曲して欲しいと考えていました。また、清治さんに出演していただくからには、清治さんに注目が集まるシーンを作ろうという思いもあり、プロローグを付け加えて独創的な観音廻りを作り上げるよう演出を行いました。

杉本文楽は原文を完全に復活させたとは言われてはいますが、実際には少し複雑な話です。2008年に、富山県で発見された一番原本に近いと言われている黒部本ということがあるということを人伝手に知り、杉本文楽ではそれを使用しています。ただし、原文は完全に復刻してはいますが、近松の当時の曲を復活させているわけではないため、原文完全復活というのではなく、半分は原文(黒部本による)復活で、半分は清治さん作曲による、現代の新しいものということになります。

―――杉本さんは語りの節回しなどに関してのご意見等はお伝えしていたのでしょうか? 

曲に関してというよりは、舞台空間のイメージだけは伝えてこういった演出にしたい、ということだけは伝えていたように記憶しています。人形の動きの部分は、通常の文楽の場合上下(左右)の動きしかありませんが、杉本文楽では上下だけではないということは伝えていました。

ただ、今のような人形の動き方の演出になったのはもう少し後のことです。最初にKAATで舞台のテストセッティングをした時に、おもむろに蓑助さんが人形を持って舞台の後方から表れて、そのまますっと後ろを向いて帰っていったことがあったのですが、その蓑助さんの姿を観た時に、もの凄いインパクトを受けてしまい、どうしても演出に加えたいと蓑助さんにお伝えしました。そこで、観音廻りの冒頭のシーンの動きが生まれることになったわけです。

このような前後の動きも含め、通常の文楽でも色々とやろうと思えば出来ることはあるとは思います。ただ、決まりごとがあって普通では出来ないことを、私たちは素人集団なので「あれもどうか」「これもどうか」と色々と案出しをさせていただいた事に対して、蓑助さんが真摯にこたえてくださり、やっていただいたということです。そういった意味では、杉本文楽は私たちと演者の方々の、お互いのクリエイションということなのかもしれません。

―――杉本文楽の観音廻りの場面では、1人遣いのお初人形を使用していますが、現行の文楽の舞台でお1人で舞台に立たれるということはあまりないことかと思いますが、どのように受け止めていらっしゃったのでしょうか?

1人遣いに関しては、文献などでご存知でいらっしゃったので、最初は「それをやるんですか」という反応でした。ただ、実際にやってみるまでは、こんなに大変だとはわからなかったと思います。なぜ大変かというと、1人遣いの人形は、動きが単純なため、舞台上で間が持たないのです。人形を遣う人にとって、間が持たなくて舞台に立っているという事ほど大変なことはないと思います。普段は、長い間を演技で持たせるということを日々行っているのに、1人遣いの人形では、両手両足をもがれたような状態で演じなければならないため、どうやって間を持たせるかということを、きっと今でも悩んでいらっしゃるとは思います。

―――杉本文楽の場合、舞台美術が非常に華やかで特徴的ですが、舞台美術に関してはどのように決めていかれたのでしょうか?

通常の文楽ですと、各シーン毎に背景画や建具が作られていて、それぞれのシチュエーションが舞台美術によって分かりやすい状況を作り上げられていますが、杉本さんはそういった饒舌に語る道具が嫌いで、まず明るい所で見せるということが嫌いで、何か1つ、力強いインパクトのある本物が1つあれば、それだけでその場を設定のままに見せられるという自信があるというのと、自身もそういうアートをずっと作り続けている作家なので、1シーンに1つ、本物の何かを置くことで空間を鷲掴みにしようという事は、比較的早い段階で決めていました。生玉では鳥居ですが、縮尺は違いますが本当の白木で作った鳥居を1つおくことで、そこが生玉の境内だということを示しています。次の天満屋では、最初に決まったのは天満屋の遊女の館に相応しい暖簾を作ろうということで、梅暖簾が決まりました。最初の観音廻りと、最後の道行きは映像が使用されています。

―――舞台上にセットがないことで、人形遣いの方にとっては不都合が生じることもあったかと思われますが、その辺はどのようにご説明されたのでしょうか?

言葉で説明しても伝わらないだろうと考えたため、絵コンテを作って説明をして、その後で舞台模型を作って、模型を遣って説明をしました。今でもこの話をしながら勘十郎さんの難しい顔が浮かんできますが、模型で動きの確認をしていただきながら、実際の動きとしてトライしていただきました。また、細かな訂正点はありましたが、杉本文楽では、ほぼ全てこちらの演出を受け入れていただきました。これは本当に凄いことだと思います。

―――(会場からの質疑応答)近松の当時の劇場の暗さもある程度意識されているとは思われますが、会場の暗さに関するお話を教えてください。

現代的なことに思えるかもしれませんが、暗さという所には杉本博司が最もこだわっている部分ではあります。きっと、江戸時代は現代よりもっと闇だっただろうということ、まさに日没とともに芝居が終わるがごとく光がないだろうということで、イメージとしても舞台は暗くしています。演者が困るくらい、観る人も緊張感がなくて眠くなってしまうくらい暗いです。ただ、そういった暗さを作るのは、照明・空間としては、非常に大変なことです。暗闇にするというのは、暗くするのではなく、黒くするということで、舞台袖の一点の光でも闇の暗さが変わってしまうため、苦労しています。また、杉本さんは写真の専門家なので、光を扱うのは上手。ピンホールの写真と同じ原理で、真っ暗中でも一点だけでも光があると際立って見えるのが人間の目なので、真っ暗闇で1つの光だけで物を見せるとよく見えると言っていました。それは、まさにその通りです。

―――今回、欧州公演の凱旋公演として日本公演が決まりましたが、初めて文楽の本拠地でもある大阪での公演を行うことになりましたが、なぜ大阪公演が決まったのでしょうか?

曾根崎の地で、お初の御霊を捧げたいというロマンから大阪公演を決めました。実は、ヨーロッパ公演に行く前から、最後の日本の凱旋公演をしようということは決まっていて、劇場を探していました。そこで、とにかく曾根崎の地にこだわるという意味で、今では高級飲み屋街になっている新地という地域が曾根崎に当たるのですが、新地の川を隔てた所にある音楽ホール(フェスティバルホール)で今回の大阪公演を行う事を決めました。ぜひ、東京公演だけではなく大阪公演にも足を運んで頂きたいと思っています。

―――最後に、曾根崎心中の見所、ストーリーの中で重要な部分と考えられている部分をぜひ教えてください。

一点に絞ってお話するとすれば、観音廻りの部分が一番重要であると個人的には思っています。ストーリーとしては、心中するという恋事のように思っていながら、最後は観音に召されているということを考えますと、冒頭の観音廻りの場面は実は大切なシーンだと認識しています。生玉以降のストーリーとは全く脈略がないにもかかわらず、観音廻りを序章に持ってくるというのは、最初に全てを言い表しておいて、最後は「恋の手本になりにけり」という文章で終わっているという、その重要性は浄瑠璃を読むと分かってくると思います。また、文楽の現行曲では、「恋の手本となりにけり」という言葉を言わないのですが、杉本文楽では観音経で始まり「恋の手本となりにけり」で終わるということにこだわっているという点でも、全く解釈が異なっていると考えています。

取材・文:栗林茜